とある大学生の雑記。

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八百万の神々

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最近、神道や日本神話に興味がある。
なぜ突然そのような関心が沸いて出たのか、それは私自身も容易には理解し難かったことだ。
元々、日本史に関して人並み以上の造詣の深さは持ち合わせていたとは自負しているが、その興味の矛先は主に近現代が中心に向けられており。古代史や文化史等は、大学入試の日本史から離れて以来距離が遠のく一方となっていた。
そんな私がこのような事柄に関心を抱くようになってしまったのは、己のことではあるが甚だ意外であった。そこで、人の興味・関心というものの成り立ちについて考察した結果、それは必然的なものではなく、私達が思っている以上に偶然の産物であると結論付けるに至った。
或る事柄に対して感興がわく理由は、場合にも依るが、そう大それたものではない。それまでの生活に於いて育まれてきた感性を土台とした上で、“外界からの刺激、或いは自発的な動機によって意識に何らかの変革がもたらされた時”に、人間は“或る物”に興味を抱くようになる。その変革の際に生まれる心こそが好奇心や求知心と呼ばれるものである。
思い返してみると、現在自分が当たり前のように思っている趣味もまた、その契機は他愛も無いことではなかっただろうか。人間はひょんなことから、以前の自分が思ってもいなかったようなことに興味を抱く可能性を十二分に秘めている。
中身が関係してくるは、寧ろ精神の土壌の方ではなかろうか。対象を受け入れられる下地があって初めて人は物事に興味を抱くことができるのだ。仮に私のように文系に特化してきた人間がいきなり素粒子物理学に関心を持とうとしても、一瞬で挫折するだけであるし、学歴以外の道で勝負することを選んだ人がヘーゲルの弁証法を理解しようと務めても同様の結果が待っているだろう。実際にはこのような事態はまず起こりえない事ではあるが、逆に、下地さえ整っていれば、「きっかけ」次第でどのような物であっても興味を抱くことができるという点が重要だ。大事なのは「きっかけ」。それこそが全てだと言っても良い。その「きっかけ」が訪れなければ、興味を抱くことはない・・・。
この辺りが偶然の産物と称した所以である。
さて、私が神道や日本神話に関心を抱くようになったきっかけは何であったかというと、直接的なものは『百鬼夜行シリーズ』だと云える。勿論、それに至るまでの過程に於いても幾つもの要因が重なり合ってきており、その結果精製された下地が前提事項として存在していたということも大きい。そして何よりも重要なのは主人公の陰陽師に少なからず憧憬したことに尽きる。憧憬を抱いた瞬間が、この場合に於ける「きっかけ」であった。こうして、それまでの自分とは極めて縁の薄かった物を、興味の対象に引き入れることが出来た。

人の感情というものは非常に不安定で、同じ事柄に対してであっても、時と場合など諸々の条件次第で受容の際の印象は変わってくるというのが私の持論である。つまり、作品全般の感想や登場人物に対する印象も、異なる条件下では違ったものであった可能性も否定できない。好印象を抱かないということはなかったとしても、仮に憧憬を抱かなかったのなら、神道や日本神話に関心を持つことは決して無かっただろう。如何に偶然の産物であるかが、お分かりいただけただろうか。他の趣味についても全くもって同様である。入り口は常に私の眼前で開きっ放しだったわけではない。彷徨の最中に偶然、開いた状態の入り口を見つけた結果今の趣味があるわけだ。入り口の場所へ辿り着かなかったり、辿り着いたとしても閉まった状態であったのなら、今の趣味を持ってはいなかったことになる。

兎にも角にも、数奇な巡り合わせで興味を抱くことになった神道・日本神話であるが、概説程度に触れただけでも、その奥深さを感じ取ることができる。日本固有の宗教である神道は、元々我々日本人の生活の中に深く根付いている文化だ。その神道が規範とするのが記紀を中心とした日本神話の文献である。「八百万の神々」や「アマテラスオオミカミ」、「ヤマトタケル」、「三種の神器」といった言葉は誰しもが聞いたことがある筈だ。その他にも、神道・日本神話にまつわる言葉は数知れない。神道・日本神話を学ぶことによって得られる教養は底知れない。これまで私が何の問題意識も持たないまま見過ごしてきたような物でも、神道・日本神話を知れば見方が変わる物は多い。自宅の神棚から、近所の神社、伊勢神宮、“神様”とは何か、天皇家の由来と天皇制の本質、七五三や初詣といった馴染みの行事、『因幡の白兎』や『ヤマタノオロチ』といった有名な説話、仏教との関わり、神仏習合・日本人の宗教観、海外との性質の違い、そこから見出される民族性、など挙げればきりが無い。もちろん、他の分野の知識も必要であるが、私も嘗てはそうだったように、政治経済さえ理解しておけば大丈夫だという思い込みが蔓延しているように思える。政治経済“だけ”に留まらず、それとはまた違う分野を理解することでより広い視野と深い見識を手に入れることが出来るのだ。あの靖国神社問題だって、神道を知らないでその本質を議論できるはずがない。

神道や日本神話は、歴史的な事情もあり、学校の授業等ではなかなか触れることの出来る機会が少ない分野だと云えるだろう。幸い、現在はインターネットで図書館に行かずとも独学でこれらの知識を身に付けることができる。恵まれた時代に生まれたことに感謝しつつ、知識人になるという目標に向かって邁進していきたい。



以上、詭弁でした。ここからは雰囲気を変えて、プロ野球の話題・・・・・にしようかと思いましたが、長くなったので記事を分割します。
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プロフィール

オヤシロさまの使い

Author:オヤシロさまの使い
1987年生まれ。
大阪府在住。
一応府内の国立大学3回生。
かなりの文系特化人間。
趣味は多岐にわたる。
特に好きな作品はひぐらし、うみねこ、マリみて、ハルヒ、バンブレ。

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